肉じゃが

足腰劣化防止とリフレッシュのため、

週のうち三日は、会社の近くにある本屋さんまで約30分かけて歩いていく。

本屋さんはほっとする。本の匂いと手触りが好きなのだ。

やっぱり紙の本はいいと思う。

ちょうどいい大きさと重さのバランス。持って心地いい。

気になるところは線も引けるし、気になるページは角を折ることもできる。

それに残りページから、結末までの展開を予想するおもしろさもある。

 

本はゆっくり読む。

300ページくらいの本を5、6時間かけて読む。

速く読むのはもったいない。区切りごとに余韻を楽しまなければ。

いつも持ち歩くバッグの中には、お守りのように本をいれてある。

 

自宅の机の上にまだ読んでいない本が7冊積み上げてある。

ゆっくり読みすぎて溜まってしまった。

本屋さんに行くと読みたい本を見つけてしまい、ついつい買ってしまう。

なので最近は、作戦を立てた。

本屋さんに行ってリフレッシュはするが、溜まった本を読むまでは買わない作戦。

小説以外の本を立ち読みさせてもらうことにした。

昨日は「男の料理本」を立ち読みし、その中の肉じゃがの作り方をだいたい覚えた。

もう長いあいだ肉じゃがを食べていない。

ああ食べたくなった。

 

彩雲(さいうん)

祈り

少し前に、ひとりのお医者さんがテレビでこのようなことを言っていた。

「病気の人は、祈ってくれる人が多いほど治りが早い」

たしかアメリカのある調査機関が調べたと言っていた。

こんなことをどうやって調べたのかなと思ったが、

人の祈りには力があるのは信じられる。

まして、大勢の祈りが重なるなら大きな力になるんだろうなと思う。

 

過去に、何度か仕事に行き詰った。

経験のない問題。まったく知らない領域。

これは僕には無理だなと思いつつ、

とりあえずあがいて苦しんでみるのだが、やはり暗礁に乗り上げる、

どうしていいかわからない、でもどうしてもやらなければならない。

ひとりでやれることをやったら、最後は神さまにお願いする。

といっても神社にお参りとかでななく、

心の中でこう祈るだけ。

「ヒントをくれぇーーたのむーーー」と、本気でお願いする。

神さまはすぐには応えてくれないが、不思議なことに何日か後にそれがやってくる。

解決の糸口がふいに閃いたり、誰かの言葉にそれがあったりもした。

問題をまるごと解決してはくれないが、ヒントはくれる。

こんな経験を何度かすると、願いとか祈りには、

それを聞いてくれて応えてくれるものがいるんだなと思うようになった。

それがなにかはわからないが、生きているうちに一度あってみたい。

 

最近少し疲れ気味なので、今日は久しぶりに広瀬川の土手沿いを散策した。

大好きな樹齢200年のけやきの樹の下でしばらくぼーっとした。

ふっかつ!!!

ごめんなさい

1週間前にスマホの機種変更した。

お店のひとにおすすめは?と聞くと「○○○です」と即答だった。

まずは聞くだけのつもりだったのだが、

あまりに即答だったので、ついつい「じゃそれで」と即答返しをしてしまった。

「データ移行も簡単です」と説明されたが、

毎度のことだが、やはりパソコン苦手な僕には大変だった。

いろいろなところへ問合せをし、質問の仕方がいまいち要領を得ないので、

相手の方も返答が大変で、それでもしつこく問い合わせして、

約1週間かかってようやくデータ移行やメアド設定などが完了した。

その間、仕事ははかどらず、好きな読書もあまりできなかった。

もう機種変更などしないと少し憤慨もした。

しかし、、、原因は100%僕にあった。

最後までてこずったのは、メアドの設定。

、と.。カンマととドットを間違えてメアドの設定をしようとしていた・・・・・。

はずかしい。問い合わせにいろいろアドバイスをしてくれた方に、

ほんとに申し訳ない。

その人たちにカンマととドットを間違えたことは言えなかった。

せめてここで言おうと思う。

「ごめんなさい」


はずきるーぺ買うかな。

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じゃろ?だっちゃ?

久しぶりに広島の従兄弟と話をした。

懐かしい広島弁

でも薄くなった。

僕が子供の頃、大人たちが話していたバリバリの広島弁はもう聞けない。

今は標準語とのハーフハーフな感じ。

30年前に仙台に移ってきたとき、お年寄りは仙台弁を喋っていたが、

若い人はあまり仙台弁を喋っていなかったと思う。

ときどき会話の中に仙台弁が入るのだが、僕が首をかしげてわからないという

仕草をすると、すぐに標準語になった。

全国的に方言は薄くなっているのだろうか?大阪はどうなんだろう?

昔、大阪に三ヶ月住んだが女の子の大阪弁は、かわいかった。

個人的には大阪弁は濃いままでいて欲しい。

 

広島弁の「じゃろ?」

仙台弁の「だっちゃ?」

どちらも同意を求める方言、これはとてもいい感じ。「だよね?」より情感がある。

たとえば、会社のミーティング、話す言葉はそれぞれの方言。標準語は誰も喋れない。

広島弁、仙台弁、大阪弁、九州弁、津軽弁などなどが飛交い乱舞する。

きっと大乱闘になるな。でも面白い。あっは。

 

方言はグローバルやらと向かう中、ますます薄くなる。

大切なのは便利効率で、個性的とか多様性とかはあまり必要とされない。

考えてみたら、方言に限らず、僕たちは知らず知らずのうちに、

標準とか規格内とかの方へと寄せられているような気もするのだが・・・

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ココナッツサブレ

小学校3年生ぐらいだったと思う。

友達の家に遊びに行った。

いや違う目的は遊びではなく、勉強だったと思う。

友達の名前はU君。お父さんはお医者さん。大きな家だった。

二人で勉強してたら、U君のお母さんがおやつをもってきてくれた。

それがなんと憧れのココナッツサブレであった。

しかも大量に皿の上に載っていた。

あの長細い箱の中身全部が目の前にあったと思う。


あの頃は我が家では甘いものは贅沢だった。

月に1度か2度、母が僕の大好物のおはぎを買ってくれた。

うれしくて、おいしくて、だいじに少しずつ食べた。

だから、目の前に出された大量のココナッツサブレにびっくりした。

もう勉強は手につかず、何度も手がそこに伸びて、

気がついたらほとんどを僕が食べていた。

U君はあまり食べなかった。少し呆れていたと思う。

僕はいやしい自分に内心はずかしかったが、

ココナッツサブレの誘惑に勝てなかった。


恥ずかしい気持ちを脇に置き、おやつを期待して、またU君の家に行った。

でもおやつは出てこなかった。

U君の家に行ったのはこれが最後、3度目はなかった。

孫の二人は甘いものをあまり食べない。

もういらない〜これきらい〜などと言う。

僕の時代とぜんぜん違うのだなと思っていると、

頭の中にこのココナッツサブレ事件が蘇った。

小学校3年生のときに経験した自分自身への恥ずかしさ。

今だに覚えてる。

我が事なのだが、小学生を侮ってはならないと思った。

ちゃんと覚えている。


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できたー


へへへ。できた。

ヒマリンガーとの合作「空」。

じーちゃんとまごの作詞作曲共同制作。

いっしょうけんめい二人とも考えてつくった。

Year difference 53でもいっしょにつくれるものがある。楽しかったー


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ひとそれぞれ

いつものように外のテラス席でコーヒーを飲んでいたら、

sokonokesokonokeといわんばかりに、

ドッドッドッドッ腹にひびく大きな音とガソリンの臭いを撒き散らし、

ハーレーダビッドソン(私は大きなバイクをすべてこう呼ぶ)

に乗った男性がコーヒーショップの駐車場に入ってきた。

彼はハーレーダビッドソンから降りるとお店に入った。

しばらくすると緑色をした飲み物をもって、バイクまで戻ってきた。

なにをするのだろう?もう帰る?

でもさすがに飲み物をもったままでは乗れないだろうと思っていたら、

彼はバイクに寄り添い、立ったまま寛いだ。

ゆっくりと緑色の液体を飲み、タバコをふかし、

ときどきバイクをさすり、幸せそうな顔をする。

約20分、まったく周囲の目を気にせず、彼はそうしていた。

そして、颯爽とバイクに跨り、再び

ドッドッドッドッ腹にひびく大きな音とガソリンの臭いを撒き散らし、

コーヒーショップの駐車場から去っていった。

好きなもの、たいせつなもの、時間の過ごし方ひとそれぞれ。

彩雲→https://hyakka-saiun.com/