中道

お釈迦さまは、

王子時代の贅沢三昧の暮らしと、

出家後の痩せこけて、骨と皮だけになるような苦行の

両方をとことん経験し尽くした人です。

そしてどちらにも偏らない「中道」が大事だと知り、

菩提樹の下で静かに瞑想し真理を悟ることができました。


「中道」をかんたんに言うと、

「ほどほど」「適度」「よい加減」ということになると思いますが、

どちらかというと、いい印象は与えません。

ある仏教学者の本に、「中道」が理解できれば、

それは「仏教」が理解できたと同じと、書いてありましたから、

「中道」の教えは、言葉にできない真理かもしれません。


お釈迦さまは「快楽」と「苦行」という両極から学び、

究極の成長である悟りを得ましたが、

たぶん私たちは、相反する二つのことを、

振り子のように、いったりきたりしながら

少しずつ成長していくのだと思います。

真理を理解するためには、片方だけでは駄目で、

「がんばる」と「へこたれる」。「誇れる自分」と「惨めな自分」。

「幸福」と「不幸」。「成功」と「失敗」。「順風」と「逆風」。

こんな対極にある二つのことを経験する必要があるのだと思います。


他人の心の痛みに思いを巡らすことができるのは、

過去に自らが心の痛みを経験した人でないと難しく、

大きな痛みを経験しながらも、それを乗り越えた人の笑顔は、

なんともいえず優しく魅力的です。

辛いことも嬉しいことも自分が体験することに無駄はないようです。


私は、「中道」ではないのかもしれませんが、

一生懸命に生きる、努力をするということは、

とても大事なことだと思っています。