ストレスやプレッシャーを抱えることが多かったので、
決して仕事が好きだった訳ではありませんが、
昔の僕は仕事の虫で、頭の中はいつも仕事でした。
だから、時間の使い方は、かなり偏っていて、
より多くの時間を、成果優先の仕事に費やしているうちに、
(偏った)効率的な「自分のためになる時間」の使い方が、
ある意味、上手になってしまいました。
自分のためにならない、どうでもいいことはあまり考えず、
愚痴や噂話に使う時間はもったいないと思い、
仕事に関係のない話はできるだけ回避し、
必要以上の弁明や言い訳さえもめんどうで、
人への気遣いや、心配りなどはほとんどできない。
恥ずかしながら、こんな具合で、他人に無関心で、
自分のこと以外には関心がないというような生き方をしていました。
そんな自分が小さいながらも経営者になり、
若いスタッフに、このようなことを言ってます。
「他人のことを考えられる人間になろう」
自分のことを棚に上げなければ、人は何かを発言したり、
主張することは出来ないかもしれませんね。
マザーテレサの言ったことを紹介していた本に、
「愛の反対は憎しみではなく、むしろ無関心で、
逆にいえば関心を持つということ、それ自体が愛」
というようなことが書いてありました。
50歳をすぎて、やっとこの言葉の意味がわかりかけてきました。
「人のためになる時間」の使い方も
少しずつ、上手にならないといけません。
あした13日から18日まで中国に買付に行ってきます。