死に方について

若い頃は自分が死ぬということはほとんど考えなかったと思う。

もしかしたら自分はずっとこのままで、

年も取らず死ぬこともないとも考えていたかもしれない。

こんなばかなことをなんとなく思うほど、死は遠い先のことだった。

でも年をとるにつれ、やはり考えるようになった。

人間は最後はみんな死ぬのだから、死ぬのは嫌だということではなく、

どういう死に方がしたいかということを考えるようになった。

 

私はたぶん40歳をすぎたあたりから、近しい人たちに言っていた。

「二三日うちに死ぬ。お世話なった。ありがとう。じゃあな・・・こんな感じで死にたい」

自分の寿命を悟って自分の意志であの世に行く。

冗談交じりに言っていたが、本気で考えていた。

こんな死に方をするにはどうすればいい?

そしてみつけた。

中村仁一さん著作「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

この本に書いてあった。

年を取って、食欲が失せ、もうだめだと死期を悟ったら、

病院に行かず、治療を受けず、何もするな。

人工呼吸器や点滴栄養補給などの延命治療はもってのほか。

何もせずじっとしていれば、やがて深い眠りに入って気持ちよくあの世に行ける。

怖くなく、寂しくもなく、痛くもなく、大往生、自然死ができる。

癌がいちばんいい死に方ができるとも書いてある。

それは余命があるから。余命があるうちに、

悔いを残さないように必要なことを考え想い最後の準備ができるからと。

もちろん大往生したけりゃ癌治療はしないということが前提になっている。

手術、抗癌剤放射線などの癌治療でがんを攻撃すればするほど、

がんは反撃してくるらしい。それが痛みになり怖さになる。

神様は人間はをこのようにつくられたらしい。

 

本にはいろいろなことが書いてある。

ホントもあればウソも書いてある。

時間がたってホントがウソになったり、ウソがホントになることもある。

書いてあることが、すべての人に正しいとうこともありえない。

だから書いてあることを鵜呑みにしてはいけないとは思う。

が、私はこの本にかいてあることを信じられる。

15年前に母が癌治療のために胃の全摘手術を受けた。

それでも経過が悪く半年の余命を宣告された。

食べる楽しみを失い、痛みに耐え、2年間生きた。

最後は、あの我慢強い母がもう痛いのは嫌じゃと言い、

モルヒネを打って三日後に亡くなった。

今でもときどき考える。

母の闘病生活のあいだ、私は仙台で、母は広島だった。

そのうえ私はある事情で、母のことだけを考えられる状態ではなかった。

もし、あのとき母のことをもっと考えられる状態であったなら、

胃の全摘手術を受けることをもっと母と話し合っていたと思う。

母は手術をすることを決めたあと、仙台に居る私に電話で言った。

「うちはまな板の鯉じゃ。すべて先生におまかせじゃ」

まな板の鯉にさせてはいけなかった。

 

「二三日うちに死ぬ。お世話なった。ありがとう。じゃあな・・・こんな感じで死にたい」

この口癖は馬鹿げたことではなかった。(日数はもう少し必要みたいだが)

でも私はもう少し欲ばりたい。

深い眠りに入って気づいたらあの世にいたというのはいやだ。

意識をもったまま死んでいきたい。

この世とあの世の境を見たい。

ああ、いま自分は死んだんだー。といつもの自分の意識で確認したい。

 

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