敬意

お世話になっているものに対して敬意のようなものをもっている。

たとえば、使っているスマホやノートや鉛筆といったものにも。

誤って落っことしてしまったら、反射的に「ごめん」と言ってしまう。

 

20代の頃、ある会社に入って自分の机をあてがわれた。

毎朝仕事をする前に机を拭いて、今日もよろしくと心の中で言っていた。

周りに、同じように机をあてがわれたおじさんたちが数名いたが、

机を拭いているのを見たことがなかった。

当然机の上は汚かった。

毎日お世話になっている自分の机ぐらい、

自分で綺麗にしてあげればいいのにと思ったことをいまだに覚えてる。

 

物だけではなくて空間にも敬意をもって挨拶している。

朝、お店に着くと、「おはよー今日もよろしくー」

帰るときは「今日も一日ありがとー」と、

お店空間に向けて、他には誰もいないので声を上げて言っている。

物や空間に対してのこんなお付き合いはずっと以前からの習慣になっている。

 

こういうお付き合いをしていると、不思議なことが起こる。

敬意を払っているものたちが、ときどき教えてくれるのだ。

ノートや鉛筆からは、ここ間違ってるよとか、もっと考えてとか、もっと丁寧にとか。

お店からは、ここ綺麗にしてとか、ここ変えて欲しいとか。

あとは、よくがんばりましたーとか。

 

別に頭がおかしくなったわけではない。

これは僕の頭が勝手に作り出した物語(妄想)なのだが、

敬意とその返礼から成るこの物語は、現実的にけっこう役に立つ。

 

 

 

 

 

 

帰省

 ぶちあつい。

帰る時期を間違った。ふるさと広島は連日猛暑だった。

日差しを避けなければ死んでしまうと思ったが、

移動中15分くらい日差しを避けられず歩いてしまい、顔が真っ赤になった。

 

帰省して翌日に姉と二人で、去年亡くなったお義兄さんのお墓参りに行った。

お墓参りの最中、黄色いアゲハ蝶が飛んできて、

供えた撫子に止まりずっと蜜を吸っていた。

蝶をみて姉は言った。「あの人じゃ」と。

あとでアゲハ蝶について調べてみた。

アゲハ蝶は幸運を運んで来てくれるのだそうだ。

黄色いアゲハ蝶は特に金運を運ぶらしい。むふふふふ・・・

お義兄さん、ありがとう。

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いつも行っていた広島城と美術館は暑すぎて行けなかった。

平和公園はホテルのすぐ近くなので夕方に歩いて行ってみたが、

20分くらいしか居られなかった。

でも、今年89歳になる叔母と、

店内を白で統一した明るくて雰囲気のいいコーヒーショップに行った。

お互いにケーキセットを注文し、いろいろ話した。

叔母はここにきて僕と過ごす時間を毎回楽しみにしてくれている。

だがしかし、叔母はバスで帰ったのだが、日差しを結構な時間浴びてしまい、

熱中症一歩手前までいってしまった゚(゚´Д`゚)゚

もう真夏に帰るのはよそう。

 

あとは、日差しを避け本通りアーケード商店街を連日お散歩し、

疲れたらコーヒーショップで涼み本を読んだ。

陽が落ちる頃に姉か叔母の家に行ってご飯をご馳走になり、

近況やら昔のことやらお互いに話した。

あんなに話したのは初めてかもしれない。

 

この2~3年で生活も、仕事の仕方も、周りの環境も大きく変わった。

今回、広島に帰って気づいた。諸行無常。みんな同じ。

大きく変わったと思ってる人は僕だけではなかった。

変化したくなくても変化するように世の中はできていて、

じっとしていても、しがみついても、日々変化していく。

どうせ変化するなら、受身ではなく自分から積極的に変化してみるかな。

85歳と89歳の二人の叔母が広島にいる。
帰ったらいまだにお小遣いをくれる。
前回帰ったのは5年前、二人の叔母は年をとった。
ずっと元気でいてほしいなどと無理なことは言わない。
でも、次に帰るまで元気でいてほしい。

平和公園の北側にある原爆ドーム

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ふるさと

7月26日(月)から7月30日(金)まで広島に帰る。

仙台で暮らしてもう30年以上経つのに、

まだ広島に帰るという言葉を使っている。

でも、生まれ子供時代を過ごしたふるさとは、やっぱり帰るだな。

ふるさとに行くとは言わない。

カモンセベン~ウェスタージェニョー~♭~ビリーザマウンテン~~♭

 

帰るのは、たぶん4年ぶり。

本当は去年帰りたかったのだが、コロナ禍で帰れなかった。

両親と叔父と義兄のお墓まいりをして、

姉と今年89歳になる叔母の家でご飯をご馳走になって、

広島城平和公園と本通り商店街をてくてく歩き、

お好み焼きと広島風のうどんを食べる。

毎回同じパターン。でも楽しみ。

 

7月26日(月)から7月30日(金)は、
「彩雲」はお休みさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 

元気で、バカになれて、ガムシャラに

「おらおらでひとりいぐも」の作者、若竹千佐子さんは、

この小説の中で、際がなくなったという表現をしていたと思う。

他にも何人かが、表現は違うが同じような体験を本に書いていた。

たぶんこのような体験をした人はけっこういるのだと思う。

僕は15年前に経験した。

意識が宙に浮き、身体が溶けたような感覚だった。

 

程度の違いはあるが、誰もが人生最悪の時期がある。

逃げたくても逃げられない、なんとか事態を好転させなければならなとき、

最後に自分にできることは、くだらないプライドや面子を捨て、

人から何を言われようと、どう思われようと気にしないことだと思う。

そうすると、どんな状況であれ少しだけ元気になれる。

余計なことは考えないバカになれる。

とにかくその日一日やるべきことをガムシャラにやることができる。


一日を終えくたくたになって寝床に入り、神様に祈ってから寝ていた。

明日一日どうか体を動かしてくださいと。

こんな生活を続けていたある日、身体が溶けた。

最初に手足の先がジンジンとしびれだし、

しびれは少しずつ腕全体足全体、お腹、胸に伝わった。

そして、身体がどこにあるのかわからなくなった。身体が溶けたような感じだった。

このとき、快感だった。過去に経験したことがない強烈な快感だった。

こんな快感が毎日やってくるなら、抱えている問題などどうでもいいとさえ思った。

どんな生活をしても大丈夫だと思った。

 

3日間だった。身体が溶ける日は残念なことに3日だけだった。

忘れていたプライドや面子や欲が湧いてきたんだと思う。

至福の3日間だった。いまだに4日目はない。あの時以来身体は溶けていない。

面倒だが、人間はプライド面子を持っていなくては上手く生きられないと思う。

でもこのようなものを手放すことができたら人はもっと楽に生きられるな。

またいつか、身体を溶かしたい。

 

元気で、バカになれて、ガムシャラに。

私はこの3つは無敵の三大要素だと思っている(^+^)

バーサス、怠惰な脳

最近、「脳」について書いてある本をよく読む。

脳の重さは体重の約2%、でも脳はカロリーを最も消費する器官。

人が一日に消費するカロリーは約2000キロカロリー

このうち脳は400キロカロリーを消費する。わずか2%なのに。

 

だから脳は、できるだけ私を使わないで疲れるから~と言ってるらしい。

なるほど、だからがんばろうとしてもついつい楽なほうへ流れてしまうのか。。。

でも脳はワガママ。楽ばかりしていると今度は退屈だ~刺激をくれ~と言ってくる。

そこで、なにをしようかと考えるのだが、脳は疲れることはしたくない。

 

あまり考える必要のないことや、

軽く達成感が味わえることや、

ほどよい快感を与えてくれるものなどを探して退屈をしのぐ。

ゲームが好きな人はゲームをやり、

音楽が好きな人は音楽を聴き、

本が好きな人は本を読み、

お腹がすいている人は好きなものを食べる。

好きなことに夢中になっていると脳内にドーパミンという快楽物質が分泌される。

ドーパミンは幸せな気持ちにさせてくれたり、高揚感や集中力を高めてくれる。

脳は快感を求めるので、ますますこれらが好きになる。

 

脳が好むことばかりやって生きていければいいと思うが、

脳が嫌がること、脳がとても疲れることもやらなければならないことがある。

困難な事柄に取り組んだり、一から始めて覚えなくてはならないことだったり、

前向きに生きていこうとしたらこのようなことはけっこうある。

でも、ありがたいことに脳は頑張ったご褒美にドーパミンを放出してくれる。

苦しい辛いを乗り越え没頭の状態に入れば、ドーパミンが放出され、

集中力や学習能力を高め、問題解決の答えが出てきたりする。

夢を掴んだり、目標を達成できるのはこのドーパミンのおかげとも言える。

 

脳はすごいね。好きなことだけではなく嫌なことをしても最後はドーパミンという
最強の武器で私たちを助け応援してくれる。
まずは怠惰な脳と向き合わねば。バーサス、怠惰な脳!

母の言葉

子供の頃はこんな事を思っていた。

自分たち地球人は虫かごのようなものに入れられて、

誰かに、たぶん神様的な人たち(?)か、

宇宙人的な人たち(?)に、いつも観察されている。

だから品行方正に、清廉潔白に、馬鹿正直に生きねばならない。

こんなことを本気で子供の僕は思っていた。

もちろん守れるはずがなく、

悪いことをするときは背を丸め、人目を避けるように、怖々とそれをした。

 

こんなことを思っていたのは、母の言葉が原因だ。

「お天道様は全てお見通しじゃ」

「ウソはつけんのんで」

「悪いことをしたらバチがあたるんで」

とても道徳的で、子供のしつけとしてはいいのかもしれないが、

お天道様の意に沿わないことをしてしまったら、罪悪感と恐怖心がやってくる。

だから、頭のなかで母に反論した。

「お天道様は謝って反省すればゆるしてくれるんでー」

 

もうひとつ、母がよく言っていた言葉がある。

「虫を殺したら、来世は虫になるんで」

で、僕は今でも虫が殺せない。

家の中で虫に遭遇したら、ティッシュかペットボトルで捕獲し、庭に逃してやる。

 

でも、私は知っている。

母はゴキブリホイホイで捕獲した数多のゴキブリをあの世に送っていた。

 

64

この一ヶ月はとても慌ただしかった。

車の免許の更新、車検、確定申告、そしてスマホとパソコンの買い替え。

スマホとパソコンの初期設定やデータ移行は初めて自分でやった。

かなりのストレスだったが、YouTubeやネットを見ながらなんとかできた。

そして今日、これらの非日常的なやらねばならないことが全部終わった。

日常業務以外のやらねばならないは、これで当分ない。(うれしー)

 

旧いパソコンはとても重くなっていた。

毎日、待ち時間が30分から1時間はあった。

イライラするのがイヤなので待ち時間は半分寝ていた。

こうすれば、お昼寝を兼ねて仕事ができる。

一石二鳥だが、さすがに仕事がはかどらないので、

新しいパソコンに買い替えた。100倍は速くなった気がする。サクサク動く。

 

慌ただしいのも、ねばならないも苦手。

ゆったりした時間を確保して好きなことをしたいと思ってる。

だからねばならないことがやってくると、できるだけさっさとすますようにしてる。

日常もあたふたすることがないように事前準備や雑務など前倒しにしている。

つまり、お店にいるときはいつもなにかをしている。

休憩もあまりしない。たまに疲れると椅子に座って20分くらい居眠りするが。。。

ゆったりした時間をもつために、いつもあくせく働く僕はもしかするとあほかもしれない。

 

元スタッフが月に3日くらい手伝ってくれているが、あとは一人でお店をやっている。

ほぼ一人になって1年になる。寂しく思うときもあるが、

体を動かして一所懸命働くことに心地よさも感じることもある。

一人なので、やりたいことを自分で決めて、

誰にもお伺いも遠慮もしないで動くことができる。

一人でできることは限りがあるが、こういう点は気楽でいい。

 

一人になる前はよくサボっていた。

「こらー百年はやいぞーもっとはたらけー」と神様に言われたみたいだ。

今月で64歳になった。百年たったら164歳になるな。。。

いつまでできるかわからないけど、頑張ってみよう。