きょう、12時に孫娘と待ち合わせ。
お誕生日祝いということで一緒に食事をして、プレゼントを渡す。
と言っても、女の子で中学生、おじいちゃんには何を買っていいかさっぱりわからない。
なので、「これで好きなものを買ってください」と言って用意した封筒を渡すつもり。
3年くらい前までは頻繁に会って食事も一緒にしたが、最近はお正月と誕生日くらい。
それでも幸せだと思う。孫とじいちゃんの二人での食事にまだ付き合ってくれる。
どこで食事をするかなって考えて、決めた。
随分前に一緒に行ったことがあるレストラン。
ここで、たぶんまだ7、8歳だった孫に言われた。
「もう一度子供になれたら何がしたい?」
僕は、これもあれもとたくさんしたいことを答えたのだが、
「何も上手になれないね」と返ってきた。
あのときは妙に納得した。なるほどそういうことかと。
僕はいろんなことに興味が湧いてしまって、結局器用貧乏なところがある。
ある人に、こんなことを教わったことがある。
どんなことでも3年間本気で死ぬほど努力すれば、誰でも80%まではいける。
まっすぐな階段を上がるように、一歩上がれば景色も違ってくる。
でも、プロというのはその先の領域に入った人のこと。
階段はまっすぐではなく、超緩やかならせん階段になる。
上がっても上がっても景色は変わらず上がったように思えない。
81%以上は、それを一生取り組む気持ちがなければやらないほうがいい。
たしかこのようなことを言っていた。
一生取り組む気持ちがもてるもの。
それは生きていくために必要だからとか、お金とか名誉のためだとかよりも、
ただ単純に無性に無條件に好きなものだからという理由のほうがいいな思う。
こっちの方が超緩やかならせん階段を少しでも楽しめる。
でも、この歳になってもまだ新しくやってみたいことがある。
あほかもしれない。
やっぱり僕は一生を掛けて取り組みたいものはたくさんあってもいいんじゃないかと開き直るしかない。
きょう、孫と一緒に食事をしたときに聞いてみようと思う。
「一生掛けて取り組みたいものは何個ある?」