一日一食

三ヶ月くらい前から一日一食にした。

晩ご飯だけ食べる。

十代の頃から一日二食だったので、けっこう楽にできた。

一日一食をやってよかったことが三つある。

ひとつは、時間が増えた。

食事の用意をして食べ終えるまでの時間、食べたあとの眠気の時間、

これらがまるごと別のことに使える。

仕事をしたり、読書をしたり、妄想したり。。。

ふたつめは、痩せた。

少し痩せすぎだと、心配の声もかけてもらったが、

体調はとてもいいし、気分も上々。頭も冴えた感じ。

記憶力や集中力が上がった気がする。

みっつめは、晩ご飯が楽しみになった。

今日は何をつくろうか食べようかと夕方になると考えるようになった。

一日一食にしたら何を食べてもいいみたいで、

甘いものを避けたり、腹7分目で我慢しなくてもいい。

お腹いっぱい、デザート付きで、好きなものを食べられる。

今日は焼きそばを作って食べた(デザートはシュークリーム)。

簡単なものしかつくれないが、おいしかった(*´∀`*)

 

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お勉強

このところ毎日お勉強している。

少なくても2時間くらい、日によっては気づけば5~6時間している。

あることをしようと思って勉強しているのだが、

ここに書くとしなければならないことに変わってしまい、

プレッシャーになりそうなので書かない。

私はプレッシャーに弱い。

努力して、あることをしようということは、

目標をもつということだと思うが、

こういうものをもつのは久しぶりだ。

 

目標を果たすために本を買って読み、大事なところにマーカーを引き、

覚えたい言葉は、その周りをマーカーでクルクル囲って浮き上がらせ、

さらに段落ごとの要旨を本の上の余白部分に鉛筆で書く。

わからないところは何度も何度もしつこく読み返すので、

だんだんとよれよれになっていく。

黄色やピンクや鉛色、そしてしわしわ。

毎日、こんな混乱状態のページを創作している。

 

もう中国に帰ってしまったが、東北大学の留学生だった35歳違いの友人がいる。

仕事仲間の友人の息子さんなのだが、週に一度会いに来てくれて、

近くの喫茶店でいつも2時間くらい話していた。

約3年間続いたのだが、彼は質問が上手で会話は楽しかった。

孫正義さんやスディーブ・ジョブス氏の名前がよく出ていた。

彼の憧れで大きな目標だったのかもしれない。

そんな彼が、

「幼い頃から毎日8時間以上勉強してました。今もです」と言っていた。

正直びっくりした。信じられなかった。

そんなに勉強したら脳みそがお豆腐になってしまうと思った。

 

でも、彼にはとても及ばないが毎日2時間以上勉強してきて、

すこし彼のことがわかるようになった。

興味があることで、分からなかったことが分かる、今まで知らなかったことを知る、

ということは嬉しくて楽しいのだ。

「あーーそういうことかー」「そうだったんだーー」と心で叫び、

周りに聞こえないように、ちいさな「ふぅー」をしたら、

理解しようとして硬くなっていた肩や首から緊張がいっしょに抜けていく。

ひとつの理解が、二つ三つと連鎖して、

関連する他の意味不明だったことが突然わかるようになったりする。

こういうとき、勉強は苦しいから快感に変わる。

きっと勉強好きな人はこの快感をなんども体験しているんだなと思った。


この快感が待っているなら、勉強は続けられる。

途中でコケないようにがんばろう(*´∀`*)

 

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「ありがとう もも」

16年間いっしょに暮らした愛犬「もも」が今朝亡くなった。

 

一昨々日(19日)。

仕事から帰ったらいつもの通り玄関でワンワンワンと出迎えてくれた。

そして一緒に晩ご飯。

自分のご飯を食べ終えたあと、

尻尾を振り、食卓に座る私のふくらはぎに鼻先をなすりつけ、

クゥーンクゥーンもっとちょうだいと言ってくる。

ほんの少しだけ私のおかずを分けてあげる。

ご飯がすんだら、いつも通り奥さんと散歩に出かけ、おしっことうんち。

今日も普段と変わらない一日が終わると思っていた。

でも、急変は散歩から帰って30分後にやってきた。

ももは突然に横たわって、息を荒くし、全身を震わせた。

犬の救急病院に連れて行ったら、肝臓がかなり腫れていて、

大きな腫瘍もあると言われた。

治療は出来る状態ではなく、とりあえず眠らせるために鎮静剤を打ち、

家に帰り様子を見守った。

彼女は2年前にも死にそうになった。

そのときも覚悟したが、なんと持ち直した。

私たちは不死身のももちゃんと呼び、

今回もあのときのように、奇跡が起こってくれと願った。

 

一昨日(20日)。

ももをお店に連れて行き様子を見ることにした。

息は少しだけ落ち着いたが、ずっと横たわっていた。

それでもなんとか3回ほど自力で立ち上がったが、

すぐにころんと転がった。もう身体が支えきれない。

仕事を終え、家に連れて帰る。

あいかわらず、立てない。口にできるのは水だけ。

 

昨日(21日)。

朝、おしっこがでないので病院に連れて行く。

熱が39度あり、不整脈もでているとのこと。

とりあえず点滴をして、熱を下げることになり、

仕事帰りに迎えにいくことになった。

少しでもよくなることを願った。

でも、迎えに行くと、酸素室に入りほぼ昏睡状態になっていた。

一晩病院にあずけ翌朝迎えに行くことにした。

死ぬなら、いっしょに暮らした家で死なせてあげたい。

 

そして今日(22日)。

病院の開始時間の9時に迎えに行くつもりだったが、

容態が悪化したとの電話が入り、急いで病院に向かった。

生きてるうちにもう一度会いたいと思いながら。

でも間に合わなかった。すでに亡くなっていた。

まだ身体が暖かかった。

苦しむ様子はなく逝きましたよ、と先生が教えてくれた。

せめてもの慰めの言葉。

生きている時に、ももの目を見ながら「ありがとう」と言いたかった。

彼女の存在は私たちをずいぶん助けてくれた。

真っすぐに誰かを可愛がり、誰かから必要とされるのは、

生きていくためにとても大事なことなんだと思う。

泣いた。号泣した。

私はものすごくかっこ悪く泣いてしまう。

嗚咽、鼻水、子供みたいに泣く。恥ずかしいけどしょうがない。

あとから聞いたのだが、

昨日病院に行く前にももは自力でほんの少しだけお座りをした。

そして、最後の別れを奥さんにした。

たぶん、一番可愛がってくれた人に、

「ありがとう。さようなら」を言ったのだと思う。

残念ながら私は見れなかった。

写真を見せてくれたのだが、たしかにお座りしていた。そして笑ったようにみえる。

 

令和元年8月22日午前8時10分頃、ももちゃん逝く。

目の前には硬くなり冷たくなったももがいる。

「ありがとう もも」

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最後の微笑み

 

他人の目

最近はときどきタリーズで朝コーヒー&読書。

席数は100以上あると思う。天井が高く広々してる。

隣の席が少し遠い。ここは隣の人をあまり気にしないでいられる。

 

隣の隣の席で、英語のレッスンをしているふたりの女性がいた。

日本語がとても上手な外国人の先生が英語で問いかけ、

日本人の生徒がそれに英語で答えている。

「ベリーグー!」

「オッケー!」

「とてもいい!」

「すばらしい!」

こんな感じで、先生は英語と日本語を混じえ何度も褒める。

きっと生徒さんは英語が上手になるなと思った。

僕が褒められたわけではないけれど、褒めることは大事なんだなと実感した。

 

僕も以前、仕事で必要と思い、英語の勉強をした。

いろんな教材を買って独学もしたし、

外国人から教えてもらったりもしたが、だめだった。

けっこう勉強したのに、まったくしゃべれない。

覚えた単語が少し増えただけ。

きっと原因は先生が褒め方が下手だったから(≧∇≦)

 

あまりにも僕の英語が上達しないので、

外国人の先生が英語修得のために必須のことを教えてくれた。

「恥ずかしがってはだめ」

「間違ってもいいからとにかく喋る」

他人の目を気にしてはだめ、もっとずうずうしくなってください、

ということをよく言われたのだが、内向的な僕には難しかった。

先生が言ったように、英語が修得できなかったほんとの理由は、

他人の目を気にしてしまったということだと思う。

 

そういえば、

他人の目を気になどしていられない窮地が過去に何度かあったが、

不思議になんとかなったことを思い出す。

人の目を気にしないでいると、がむしゃらに頑張れる。

たぶん頭も冴える。能力も上がる。

 

となりのとなりの先生と生徒のお陰で大事なことを思い出した。

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運命

自分がどのように生きていくのか。

どこで生まれて、どんな人と出会って、何をするのか。

運命ー人生で起こることは、

生まれた時から、すべて決まっているという人、

ほとんど決まっているが、変えられるという人、

運命などない、自分の力で人生を創るだけという人がいる。

どれが正解かはわからないが、

全て決まっていては自分が無いようで虚しくなるし、

自分の力だけで人生を創ったとは思えない。

運や偶然、なぜかそうなったということがけっこうあったので。

なので私は、運命はあって、ほとんど決まっているが、変えられると思っている。

 

誰がどのように運命を決めるのかはわからない。

こういうときは、神さまが決めるということにしておく。

神さまは面白いことを考える。

運命を探れば少しだけ教えてくれる。

生年月日や名前、手相や顔相など目に見える個人情報を元にした占いや、

問いたいことを念じ、カードを引くタロット占い、

あと、直感やひらめきもこれから起こる未来の一部を教えてくれる。

 

もう20年くらい前になるが、ひとりの若い女性がお店に入ってきて、

「私、タロットをやっています。よかったらここでやらせてもらえませんか?」

と、突然にお願いをされた。

商品の天然石とタロット占いは相性もいいし、

独特な雰囲気をもったかわいい女性だったので、

「魔女の館」という小さな部屋をお店の片隅につくり、

タロット占いをやることになった。

彼女の占いは評判がよく、噂が口コミでひろがりお店の人気者になった。

そんな彼女がこんなことを言っていた。

「生年月日も、名前も不要。ただ相談事を念じながら、カードを切ってもらえばいい」

「引かれたカードはその人の未来を正確に教えている」

当たると評判の彼女が言ったのだから本当のことだと思う。

私も占ってもらった。外れて欲しいと願ったが、残念ながら当たった。

目に見えるものだけではなく、「念」も形となって運命を教えてくれる。

ただ、このようなことも言っていた。

「占いは読み解く力が大事で、これは占い師によって差がある」

「私の場合、人のことは占える、でも自分のことはよく間違う」

「こうなって欲しいという願望が邪魔をするのだと思う」

運命は他人を介して教えてもらうもの?ということかな。

直感やひらめきは?これは神さまが介入している?

彼女は2年くらい「魔女の館」で占いをしてくれたと思う。

未来の大学教授と結婚し転勤で仙台を離れていった。

タロット魔女と大学教授、面白い組み合わせだと思った。

今もタロット占いしてるかな。

 

神さまは人の運命を決めておきながら、それを内緒にする。

でも探れば少しだけ教えてくれる。

人間はなにも決まっていない人生では幸せになれない。

だから運命が必要なのか?

決まっている運命を、あらかじめすべて知っていても幸せになれない。

だから運命を教えないのか?

運命の軌道を外れても人間は幸せになれない。

だから探れば一部を教えてくれるのか?

 

神さまが優しい存在なら、きっとこんな感じだな。

あなた専用の軌道を敷きましたよ。

各駅停車の電車も用意しました。

でも行き先は教えないよ。

いろんな人が乗り降りするよ。

その人たちと交流しなさい。

良いことばかりではなく嫌なこともあるよ。

でも、どんなときも、窓から見える風景を楽しみなさい(*´∀`*)

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「ぼーっ」としてみた

朝はいつもスタバに行って、コーヒーを飲み、本を読んでいる。

でもたまにはいつもとは違うことをしようと思った。

今日は本を読まず、窓際の席に座って景色を眺めながら

何も考えず、「ぼーっ」としてみることにした。

我人生の役に立つヒラメキやらアイデアが降りてくるかもしれないし。

 

本を読むと脳は忙しくなる。

書かれていることを映像化したり、判読、類推したりして、

他の情報は無視しようとする。

たとえば、店内に流れる音楽とか、人の話し声、咳ばらい、笑い声。

ズズズッ カチャカチャ ゴソゴソとか、いろんな音をシャットアウトする。

「ぼーっ」としているとこれらが体の中に入ってくる。

あーいい音楽♪だなと思った。

あとの音は雑音、騒音のはずなのだが、なぜか心地よかった。

 

本は全身で全感覚を使って読んでいる。

匂いも、味も、肌触りも書かれていることに反応するし、

体に芯のようなものがあって、全身がそれに向かって引き締まっていく感じがある。

そうならないときは雑念が入り込み本を読むのが遅くなる。

「ぼーっ」は芯がほとんど感じなくなり、体は外側に向かって緩む感じ。

でも五感はいつもより敏感になる。

映るもの聞こえるもの匂うもの触れるものを同時処理している。

感覚がフルに活動しているので、脳がおやすみしている(そんなことなないが)

とにかく「ぼーっ」はストレスから解放される。

ああ第六感はこのあとに来るのだなと一人納得する。

 

残念ながらこの日はヒラメキは降りてこなかったが、

「ぼーっ」は気持ちよかった。

読書をして引き締め、「ぼーっ」をして緩め、

この対極にあるもの双方を強化していけば、

いつか第六感、ヒラメキも嫌というほど降りてくるかもしれない。だといいな。

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心機一転

5日前から朝の出勤前の約1時間を、大掃除にあてている。

隅から隅まで綺麗にして、

要らないもの。使わないもの。読まない本を捨てる!または売り払う!

「!」を付けたのは、けっこう気張らないと捨てられないものまで、

今回は捨てるから。「えいやっ!!!」という感じ。

 

懐かしい思い出のもの、大切な友人からもらったもの、

ずっと使っていた愛着のあるものも古くなってしまったので捨てる。片っ端から。

さようなら~。捨てるというのは少し寂しくなる。でも捨てる。または売り払う。

 

本は500冊くらいあった。

いいなと思う作家さんを見つけたら、その人の書いた本は全部読んだ。

そして売らずに、宝物のように本棚に置いておいた。が、今回はこれも売る。

ぜんぶ片付けたら買取業者さんに来てもらう。

 

それにしても捨てるものがたくさんある。

長いあいだお店をやっていたので、自宅にも仕事関係の小物がいっぱいある。

あれかこれかどちらかを選ぶより、あれもこれもやろうとしていた若かりし頃。

結局、一度も日の目を見ずに、使われることもなく、捨てるものがけっこうある。

捨てるということが最初は少し寂しさもあったが、

日が経つにつれ、なんだか心が身軽になった感じ。解放感とも言える。

この大掃除が終わったら、いらないものを全部捨てたら、

さぞかしいい気持ちになれるなと思う。

 

捨てられないものもあった。

孫二人からもらったお手紙と彼らが描いた絵。2歳ころからのもの三十数点。

これはもう少し持っておこうと思う。そして彼らが二十歳になったら捨てよう。

そこからはひとりの人間同士のお付き合いができたらいいな。

ふたりとも成長して昔ほどべったりではなくなった。

これも今回の大掃除のきっかけのひとつ。

心機一転!

 

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